日本が人口爆発を恐れて人口抑制政策を取り上げたのが1974年、昭和49年、わずか40年ほど前のことです。当時、穀物価格が暴騰したり、世界の人口が爆発的に増えている状況を見て、世界各国の科学者、経済学者、経営者などにより設立されたローマ・クラブは、『成長の限界 ローマ・クラブ人類の危機レポート』を世に出し、人類の未来に警鐘を鳴らした頃でもありました。

日本では田中内閣の「日本列島改造論」などに象徴される高度経済成長期でもありました。しかし実は合計特殊出生率を見ると、第2次ベビーブーム期(昭和46~49年)も含め、人口が安定的に推する水準とされる概ね2.1台で推移していたのです。そういう時期に、人口抑制政策が採られ、以降、日本の住宅政策は子供2人の4人家族が標準モデルになり、住都公団、県営住宅、市営住宅、民間のマンション等も3LDKが主流になり、様々なテレビのコマーシャル、雑誌なども4人家族がモデルとなってきました。

それ以降、合計特殊出生率は下がり始め、平成17年には全国で1.26、埼玉県で1.22になり、ここまで下がった頃から、このままでは困るということで、今度は人口を増やさなければというような声が大きくなりました。人口抑制政策を採ってわずか30年で、逆の政策展開を言い始めたのです。国の長期政策の誤りと人間がいかに忘れっぽいかということがよく分かります。

その後、こうした問題意識を持ったこともあり、平成27年には全国が1.46、埼玉県が1.34と、徐々にではありますが、少子化に歯止めがかかりつつあるような気もいたします。

実は、夫婦が最終的に持つ子供の数、いわゆる完結出生児数でありますが、昭和27年から32年ぐらいまでは3.5などという数字が出ておりました。その後は少しずつ低下し、昭和47年頃から平成14年頃までは平均して2.2くらいで安定しておりました。最近では晩婚化の影響でしょうか、2.0を切って平成22年には1.96という数字が出ております。

ただ、国立社会保障・人口問題研究所の全国調査によると、夫婦の理想子供数は2.42、つまり子供を2人ないし3人は欲しいというのが夫婦の希望でありますので、そうした意味ではまだまだ希望があります。

問題はそうした希望がかなわない社会の在り方にあります。少子化の克服は簡単なことではありませんが、埼玉県は、市町村とともに、少子化対策に徹底的に取り組んでいきたいと考えています。