今回は「悩ましい国語辞典」から「流れに棹(さお)さす」を御紹介します。
 夏目漱石の小説「草枕」は、「智に働けば角が立つ。情に棹させば流される」という有名な書出しで始まります。
 この「智に働けば角が立つ」とは、理性や知恵だけで割り切って振る舞っていると他人と摩擦を起こすという意味です。こちらには、意味の取り違えはあまり生じないと思います。一方、「情に棹させば流される」という部分は、他人の感情ばかりに気をつかっていると足をすくわれるというような意味ですが、「棹さす」を「逆らう」という意味にとってしまう人が結構いるようです。

 「流れに棹さす」という形で「棹さす」が使われる場合に、誤用されることが多いようです。「流れに棹さす」の本来の意味は「機会をつかんで時流にのる、物事が思いどおりに進行する」ということです。ところが最近では、従来になかった「流れに逆らう」や「時流に逆行する」という意味で使う人が圧倒的に増えているようです。
 「棹」は水底を突いて舟を前進させる竹や木の細長い棒です。「流れに棹さす」は、棹を突いて流れに乗って舟を進めて川を下る様子から、物事が思うように進む例えとして生まれた言葉のようです。それが、いつの間にか逆の意味で使われることが多くなっているという訳です。

 漱石の「草枕」の時代では「情に棹させば流される」と言えば、本来の意味で理解されていたのでしょう。しかし、棹を使って舟を進めているような場面を目にすることが少なくなった現在では、「棹さす」行為をイメージするのは難しいのかもしれません。そのため、「流れに棹さす」が、棹を水底に刺してブレーキをかけるようなイメージにつながったのかもしれません。
 人間の感性と言葉の持つ本来の意味との不一致が、このようなところに現れているのでしょうか。