「目の見えない人は世界をどう見ているのか」(伊藤 亜紗著 光文社新書)という興味深いタイトルの本があります。

現代アートなどの研究者である著者が、視覚障害者やその関係者6名に対して行ったインタビューを基に、目の見える人と見えない人の「見方」の違いを考察しています。

例えば「富士山」と聞くと、目の見える人の多くは「上端が欠けた三角形」を思い浮かべます。一方、著者がインタビューした目の見えない人は「上が欠けた円錐形」をイメージしていました。実際の富士山は「上が欠けた円錐形」に近いものですが、見える人は平面的にイメージしがちです。視覚には三次元を二次元化する特徴があるからだそうです。そのため、見えない人の方が、かえって物が実際にそうであるようにイメージしていました。
また、ブラインドサッカー(視覚障害者の5人制サッカー)の選手は、ボールを蹴った音でプレイの様子を「見る」そうです。そのため、ブラインドサッカーの選手には死角がありません。自分の前方と同じように後方にいる選手の動きもわかるため、後ろへのヒールパスが増えるといいます。そして、夜の暗い公園でも昼間と同じように練習ができます。

著者は、障害を「能力の欠如」と捉えることに強い違和感を覚えると言います。確かに「見えないからできないこと」もありますが、「見えないからできること」もあります。障害者に対して適切な福祉的な支援が必要なことは言うまでもありません。その上で著者は、障害のある人とない人がお互いの差異を面白がることを提案しています。そうすることで、お互いにそれまで気が付かなかったことを発見し、そこから新たなアイデアが生まれたりするのではないかというのです。

埼玉県出身の偉人に、江戸時代の盲目の国学者である塙 保己一(はなわ ほきいち)がいます。この本でも紹介されていますが、保己一翁は「暗くなると書物が見えないとは、目が見えるとはなんと不便なものか」と話していたそうです。言われてみれば確かにそのとおりですね。