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8月3日(金曜日)に、アサド・マジード・カーン駐日パキスタン特命全権大使が県庁にお越しになりました。カーン大使は昨年8月に就任されましたが、1993年から1996年にも駐日パキスタン大使館の二等書記官をされていました。

大使は、パキスタン外務省に入省されて間もない1990年にさいたま市浦和区北浦和にある「国際交流基金日本語国際センター」で日本語の研修を受けられ、当時は北浦和に住んでおられたということです。そして、最初のホームステイ先は秩父郡の小鹿野町だったそうです。
大使は、北浦和や小鹿野町に住んでいた時代のことを大変懐かしそうに思い出されていました。
ちなみに、現在日本には約15,000人のパキスタン人の方々が住んでおられますが、埼玉県はそのうち約2,400人が暮らす日本一パキスタン人が多い都道府県だということです。

大使のお話では、私たち日本人がパキスタンを思っている以上にパキスタン人の方々は親日的であるということでした。
第二次世界大戦後にサンフランシスコ講和条約が結ばれた際も、パキスタンの外務大臣は日本寄りの発言をされていたそうです。また、日本が食糧不足であった1940年代の終わりから1950年代の始めにかけて、パキスタンから米が援助されたこともお聞きしました。私たちは、日本がODAなどの開発援助で世界に大きく貢献していることから、ついついいい気になっているところがあるのかもしれません。しかし実は戦後復興の過程では、アメリカのみならず多くの国々から様々な支援を受けてきました。

カーン大使は、九州大学で国際経済法や国際商法を学ばれ、博士号まで取得されたということです。埼玉県にゆかりのあるパキスタン大使が大変日本びいき、埼玉びいきだということをうれしく感じました。

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