戦後日本を代表する俳人の1人である金子 兜太(かねこ とうた)さんが、2月20日(火曜日)夜、お亡くなりになりました。98歳でした。
「私自身が俳句」「体の中に俳句と言える要素がしみ込んでいる俳句人間である」とおっしゃっていた金子さんですが、その原点は子供の頃の環境だそうです。
金子さんは皆野町で育ちました。開業医をしていた父親は伝統芸能にも興味があり、自宅に人が集まって、秩父豊年踊りの練習や句会が開かれていたそうです。秩父音頭の囃子(はやし)や歌を聞きながら眠っていた小学生の金子さんには、いつの間にか秩父音頭の「七七七五」の調子が染み込んだといいます。
さらに、句会に訪れた筋骨隆々で野性的な男たちが句を作っては議論するのを見て、人間として非常に魅力的だと感じたそうです。「知的野生」のある彼らがわざわざ集まってくるのは、句という詩がすばらしいからだとも思ったとのことです。
そんな金子さんの秩父を題材とした作品を御紹介します。
「曼珠沙華どれも腹出し秩父の子」
この俳句は、秩父札所34番の水潜寺(すいせんじ)に句碑があります。その除幕式の挨拶で、金子さんは「秩父の大地は生涯忘れることができない。秩父は我が人生だ。」とおっしゃっています。
「おおかみに螢が一つ付いていた」
こちらも皆野椋(みなのむく)神社に句碑があります。
いずれも秩父の豊かな自然と素朴な雰囲気が伝わるすてきな作品です。金子さんは、俳句の魅力を「五七調のリズムによって、言葉は少なくても、心の中でその風景がぶわーっと膨らむ」と表現されていましたが、正にそのとおりの句です。
秩父を愛し、多くの作品を残された金子 兜太さんの御冥福をお祈りいたします。