現在、政府は「少子化対策」と一生懸命に言っていますが、実は44年前は「人口抑止」を方針に掲げていました。この間にどう変わったのでしょうか。
1974年、田中角栄(たなか かくえい)内閣の時に、政府の諮問機関である人口問題審議会は、日本の人口が静止人口の状態になることが望ましいとの考え方の下、人口増加の抑制についての方策を提言しています。
当時、世界的な不作で穀物価格が急騰し、食料問題となりました。また、ローマ・クラブの「成長の限界」というレポートが世界中で話題になり、資源や食糧は限りがあることから、人口爆発についての危惧が先進国全体で強く意識されました。
日本でもこうした人口問題に対する懸念から同年7月に日本人口会議が開催され、「子供は2人まで」という国民的合意を得ることについて大会宣言が採択されました。当時のメディアはこの宣言に対して「危機感が足りぬ日本」「抑止の道険し」といったタイトルで報じていました。
一方、少子化対策の話が出始めたのは昨日、今日ではありません。1989年の合計特殊出生率が1966年の丙午(ひのえうま)の1.58を下回り、戦後最低の1.57となった「1.57ショック」を契機として少子化問題が社会的・政策的に強く認識されるようになりました。10数年のうちに政府の方針が真逆になったわけです。
これほど将来を見通す力が私たちにはないということであります。常に危機感をあおられながら、バタバタとその場限りの政策を続けているところに課題があるのかもしれません。
私たちは物事を一面的に見るのではなく、多面的に見る力、あるいは長期的に見る力を養う必要があります。この44年前の人口抑止対策を大いなる教訓としたいと思います。