5月31日(水曜日)に皆野町の石木戸 道也(いしきど みちや)町長が県庁にお越しになりました。訪問の目的は、皆野町と浅草で交流を始めるという御報告でありました。
なぜ、皆野町と浅草かといいますと、平安時代、桓武平氏(かんむへいし)の末裔(まつえい)で武蔵国秩父郡を拠点としていた秩父氏の一族は、武蔵国一円に勢力を誇っていました。
その一族で秩父重継(ちちぶ しげつぐ)という者は、入間川沿いから江戸湾に至るまでの支配地の中で、江戸平河(現在の千代田区周辺)に進出し、桜田(現在の日比谷)に城館を構えました。1100年代後半には江戸氏を興し「江戸重継」と名乗り、その後、江戸氏の興隆は約200年間続いたと言われています。
そういう歴史的な経過を踏まえ、浅草の人たちは、現在の浅草が秩父氏の一党によって開発され、町が興隆したという縁から「皆野町と交流をしっかりやりましょう」という話になったわけです。
皆野町では、浅草の持つ観光や商業などのパワーを学び、浅草の持つ人脈を活用した町の商工業の新しい展開を進めていこうとしています。また、皆野町の子供たちが浅草で買い物体験をして浅草のパワーを感じ、町の将来を考えるきっかけにつなげることなどを期待しています。
一方、浅草の子供たちは皆野町で体を鍛えたり、町のコミュニティなどを学んでいくということで、お互いにウィンウィンの関係になることが期待されます。
6月4日(日曜日)に「隅田川水面の祭典2017」で交流開始を宣言し、正式に交流が進められると聞いております。こういう歴史的な経過から山村と都市の交流が大きく広まることは大変良いことだなと思います。浅草の皆さんたちは「江戸っ子気質」で非常に物事に感激するタイプです。
平安時代に秩父氏一族が東京の基盤を作ったということに感激して、この交流が始まるということですから、なかなか歴史というのは面白いですね。