7月24日(日曜日)の日本経済新聞のコラム「春秋」にウルトラマンに関する記事がありました。ウルトラマンが誕生して50年になるそうです。「あぁ、もうそんなになるのか」というのが私の実感です。当時はやたらと格好いい制服の「科学特捜隊」が怪獣と戦っていましたが、ジェット機のミサイル攻撃でもなかなかやっつけることができなくて、最後は真打(しんうち)のウルトラマンが出てきてやっつけるというのがパターンでした。こういう内容のコラムでありましたが、何となく、最終的にヒーローに助けてもらうというストーリーを日本人は好むのではないかと感じたところです。
確かに、水戸黄門も最後は印籠(いんろう)で勝負をする。遠山の金さんも「これが見えぬか」というような感じで勝負をする。自分たちではなかなか解決できないけれども、ヒーローが全て問題を解決してくれる。こういう文化を映画やテレビの中では作ってきてしまった気がします。
果たしてこれでいいのかというのがこのコラムの筆者の問い掛けではないかと思いました。言われてみればという感があります。
映画やテレビとは異なり、現実の世界ではヒーローに全てを託して物事が解決するわけではありません。先ごろの東京都知事の辞任の経緯を見ても分かるとおり、特定の人間への過度の期待や権限の集中は、時として驕(おご)りや勘違い、一般の方々との感覚のかい離を生み、結果として人々の期待が裏切られるということになったりもします。やはりシステムとして全体で力を発揮するような、そういう構造にしていかなければならないと思います。
卓越した特定のリーダーが上意下達で物事を進める組織運営を独立峰になぞらえて「富士山型」、これに対して、複数のプロジェクトに権限が与えられ、組織として物事を進める組織運営を、大きな峰を幾つも持つことになぞらえて「八ヶ岳型」と言ったりします。
目標を明確に示し、「八ヶ岳型」の組織体制を整え、全体の力を引き出すことで結果を導く真のヒーローが、今ほど必要な時代はないのではないのかと愚考するところです。