1月17日(日曜日)に、「埼玉伝統芸能フェスティバル」が彩の国さいたま芸術劇場で開催されました。この催しは、地域でしっかり守られている埼玉の伝統芸能を披露していただき、広く県民の皆様に御覧いただくものです。お越しになった皆様には地域の伝統芸能の素晴らしさを感じていただき、出演された方々にはそれを励みに更に頑張っていただこうというフェスティバルです。
今年は、「鷲宮催馬楽神楽(わしのみやさいばらかぐら)・熊谷歌舞伎の世界」というテーマで開催されました。まず、オープニングセレモニーとして、毛呂山町の川角(かわかど)獅子舞保存会の皆さんによる「川角の獅子舞」を子供たちを中心に演じていただきました。
そして、メインとして熊谷市の熊谷歌舞伎の会による「一谷嫩軍記熊谷陣屋之場(いちのたにふたばぐんきくまがいじんやのば)」と、久喜市の鷲宮催馬楽神楽保存会による「祓除清浄扚太麻之段(ばつじょしょうじょうしゃくおおぬさのまい)」及び「鎮悪神発弓靭負之段(ちんあくじんはっきゅううつぼのまい)」を演じていただきました。
この鷲宮催馬楽神楽は、久喜市の鷲宮神社(わしのみやじんじゃ)に伝わる神楽です。土師一流催馬楽神楽(はじいちりゅうさいばらかぐら)とも言い、江戸に伝わり「江戸の里神楽」の基礎となったことから「関東神楽の源流」とも言われています。昭和51年に国の重要無形民俗文化財の指定も受けており、演劇的要素を排した優雅な舞に徹しているのが特徴です。
鷲宮は土師部(はじべ)と呼ばれる素焼きの土器などを作る人々の移住地であったと伝えられ、かつては「土師の宮」と称したと言われています。また、この「ハジ」が「ワシ」になまって「鷲宮(わしのみや)」になったとも言われております。神楽の流派名もこの伝説を基にしているそうです。
鷲宮神社は、最近では漫画「らき☆すた」の舞台になったということで、また違った意味で注目され、「らき☆すた」ファンの「聖地」とも言われておりますので、正に古代と現代が同居している、世にも珍しい神社だと思っております。
熊谷歌舞伎の会が演じた「一谷嫩軍記熊谷陣屋之場」は、平家物語から題材を取った、地元ゆかりの武将である熊谷次郎直実(くまがいじろうなおざね)と平敦盛(たいらのあつもり)が登場する演目です。
平家物語には、熊谷次郎直実が一の谷の合戦で弱冠16歳の平敦盛を泣く泣く討ち取った後、それを嘆き出家したというお話があります。この歌舞伎の世界では、実はこの平敦盛が後白河法皇の落胤(らくいん)という高貴な人であるがゆえに、源氏方の大将であった源義経から敦盛を討ってはならぬという厳命を直実が受けていたことになっています。そのため、敦盛の代わりに自分の一子、小次郎の首を、鎌倉殿、つまり頼朝に差し出そうとします。そしてそれを知った梶原景高(かじわらのかげたか)が頼朝へ注進しようとしたため、石屋の弥陀六(みだろく)(=かつての平宗清(たいらのむねきよ))が景高を討ち、事なきを得ようとしたというストーリーになっています。そして、直実はこの世の無常を悟って出家します。こうした物語を歌舞伎の世界で表現しているものです。とても華やかでいいものでした。
熊谷歌舞伎の会は、熊谷市にゆかりのある歌舞伎を自分たちの手で公演したいと平成8年に結成されました。驚いたことには、まだ歌舞伎を演じる上での裏方スタッフが足りないため、小鹿野歌舞伎保存会の皆さんたちからの支援を受けながらこの催しを行ったということでした。小鹿野歌舞伎のメンバーの皆さんが、わざわざ彩の国さいたま芸術劇場まで足を運び、側面から支援をされているのを見て、とても美しい話だなと私も大いに感動した次第です。