塙保己一(はなわ ほきいち)は江戸時代の国学者で、盲目というハンディキャップがあるにもかかわらず、日本各地に残されていた古代から江戸時代初期までの史書や文学作品を収集、整理して666冊の「群書類従(ぐんしょるいじゅう)」として編さんし、さらにそれを木版で印刷して刊行した埼玉が生んだ偉人です。その塙保己一の記念館が、本庄市において今年の7月にリニューアルオープンをしました。私も12月19日(土曜日)、本庄市内で開催された第9回塙保己一賞の表彰式の際に訪ねてまいりました。塙保己一賞は、障害がありながらも不屈の努力を続け社会的に顕著な活躍をしている方々を表彰するために県が創設した制度です。

塙保己一は1746年に武蔵国児玉郡保木野村、現在の本庄市児玉町保木野に生まれ、7歳で失明し15歳の時に大志を抱いて江戸に出て、修行を重ねているうちに賀茂真淵(かもの まぶち)などに学び、国学の道へ進みました。34歳の時「世のため、後のために」ということで群書類従の編さんを決意し、以後40年余の年月をかけて「群書類従」正編666冊を完成させました。そして48歳の時に和学講談所(わがくこうだんしょ)を設立し、多くの門弟を育成し国学の発展に業績を残しました。また、盲人の職業集団の最高位である総検校(そうけんぎょう)にも就任し、大名や旗本との交流もしっかりしていました。

塙保己一に関する逸話として私が何より驚いたのは、見ることも聞くことも話すこともできない三重苦を克服したことで有名な「奇跡の人」ヘレン・ケラー女史が、塙保己一を最も尊敬する方として慕っておられたことであります。日本に三度来日されたわけですが、そのうち二度、塙保己一に関わりのあるところをお訪ねになり、塙保己一のおかげで自分自身がある、というようなことを述べられています。

リニューアルオープンした記念館では、こうした塙保己一の業績を大変分かりやすく辿(たど)ることができます。思ったよりも遺品がしっかりと残っていることに驚きました。県北に行かれた際は本庄市の塙保己一記念館をお訪ねいただければありがたく思います。

塙保己一記念館ホームページ