前回の東京オリンピックが開かれた1964年、アメリカの企業価値トップ4にランクされていた企業の時価総額は平均で1,800億ドル、雇用者は平均で45万人だったそうです。それから約半世紀たった2011年、企業トップ4の平均時価総額は約2倍の3,600億ドルになりました。しかし、平均雇用者数は、かつての45万人の4分の1にも満たなかったそうです。
つまり、製造業の生産現場ではロボットを含めデジタル化が進み、ルーティンワークで働いていた多くの人が職を失いました。そして、新たな職を求めて、人手を必要とするサービス産業に人々が集中していきました。今度はサービス産業で働く人たちの賃金が下がる、あるいはほとんど上がらないという現象が起きてしまいました。日本においても、まさしくそのような傾向があります。
法政大学教授の水野和夫(みずの かずお)氏は、こうした資本主義の進化を「センター」と「周辺」とに分けて、「『センター』は栄えるけれども、『周辺』は疲弊していく」と言っておられます。世界においても、「センター」の国は栄えて、「周辺」の国は疲弊する。国内においても、「センター」は栄えるけれども、「周辺」は疲弊する。企業の分野においても、「センター」は栄えるけれども、「周辺」は疲弊する。こういう現象が起きてくると分析されています。
株式会社日本総合研究所の藻谷浩介(もたに こうすけ)氏は、そうした現象を打ち破る方法の一つとして、地域で経済を循環させる「里山資本主義」などを提唱しておられます。また、所有しないで皆で分け合いながら費用の掛からない暮らしを楽しむ「シェアリングエコノミー」などの新しい社会像を描いている人たちもいます。
時代の変わり目においては、従来の価値観と新しい価値観の2本のレールが並行して走っています。いずれどちらかが細いレールになり、どちらかが太いレールになっていくものと思われますが、歴史は一気に変わるのではなく、並行して進みながら、いつの間にか人々が新しいレールを受け入れている。このようなことになるのかなと私は思います。