年が明け、新たな暦(こよみ)やカレンダーを使い始めると、気持ちも新たになる方が多いのではないでしょうか。そこで、今回は暦のあれこれについてです。

そもそも「こよみ」の語源とは「かよみ」だそうです。「か」とは、二日(ふつか)、三日(みっか)、四日(よっか)というときの「か」で日の意味です。
そして、「よみ」とは数えること。つまり、日を数える「かよみ」が「こよみ」に変化したようです。

人類の暦の歴史は長く、日本でも3世紀頃には農耕のための自然暦を使っていたようですが、ちゃんとした暦という意味では、欽明(きんめい)天皇14(553)年、百済(くだら)から暦博士を招き、暦本を入手しようとしたということが日本書紀に記されています。

その後、推古(すいこ)天皇12(604)年には日本最初の暦が作られたと伝えられています。

現在私たちが使用しているのは太陽暦ですが、それ以前の旧暦では、「和風月名(わふうげつめい)」と呼ばれる月の和風の呼び名を使用していました。
これは旧暦の季節や行事に合わせたもので、現在の暦でも使用されることがありますが、今の季節感とは1から2か月ほどのずれがあります。
例えば8月は「葉月(はづき)」といい、諸説ありますが、「木々の葉の落ちる月」ということが由来といわれています。

現在の暦が導入されたのは、明治時代です。明治政府は、西洋の制度を導入して近代化を進めるため、暦についても欧米との統一を図ろうと、旧暦の明治5(1872)年11月に改暦することを発表し、その年の12月3日を新暦の明治6(1873)年1月1日としました。

とても慌ただしい改暦でしたが、この改暦には明治政府の財政難があったともいわれています。従来の暦では、閏月(うるうづき)を入れて1年が13か月ある年があり、明治6年がその年に当たっていました。

既に役人の給与は月給制でしたので、改暦により明治6年は1月分の給与が減らせます。
その上、2日しかない明治5年の12月の月給は支払わないこととすれば、明治5年分の給与も1月分減らせる、正に一石二鳥だったということです。それが改暦の真相だとしたら驚きですね。