私が尊敬する人事院総裁や厚生労働事務次官、内閣府事務次官を歴任し、現在、埼玉県立大学理事長である江利川 毅(えりかわ たけし)さんに、すばらしい教えを伺ったことがあります。江利川さんは役人の価値基準として、「義」と「恕」(じょ=思いやり)を言っておられます。正義がきちっとかなっていなければならないということであります。法律や条例、規則といったものを曲げてはならない、そういう意味で正義の「義」がないといけない。その点で「森友」などは間違いなく正義ではないような気がします。あの元理財局長は不義の役人です。

さらに、もう一つ大事なことは思いやりの心です。どんなに正義にかなっていても、そこに思いやりがないといけないわけです。「これは法律でこうなっています」と言うだけではなく、法律を超えたヒューマニズムだとか、世の中のごく普通の人の感覚だとか、そうしたものに対しても配慮する。そういう思いやりの心が必要であるということが、正に「恕」の意味であると思います。

江利川さんとは言葉が違いますが、私も同じような意味で使っている言葉があります。それは「情」と「理」です。何事もきちっと理にかなったものでなければならないと思いますが、同時にその中に「情け」がないとだめだと思っています。人間の付き合いも理にかなわなければならないと思っていますが、「理」ばかりでそこに「情け」がないと、うまく人間社会は回らないと思います。

私は自分のことを幸運な人間だと思っていますが、この幸運を支えているものが何かあるとすれば、それは「情」と「理」について自分なりにいつも意識するようにしていることにあると思っています。