埼玉県と県内商工団体との共催による「新年の集い」が1月13日(金曜日)に知事公館で行われました。
締めの御挨拶で、埼玉県中小企業団体中央会会長の星野 進(ほしの すすむ)さんが、宮本武蔵の二刀流の開眼は、実は秩父の三峯神社の神楽(かぐら)の太鼓の撥(ばち)を叩くのを見たことがきっかけだったという話をされました。
一同驚き、「そんな話は知らんな」という感でありました。
御挨拶の後、星野会長に「それは本当ですか」と聞いたら、吉川英治(よしかわ えいじ)氏の小説『宮本武蔵』にそう書いてあると言われました。
『宮本武蔵』は、私も高校時代と大学時代に2度読んだ記憶がありましたが、その場面は思い出すことはできませんでした。
気になりましたので三峯神社のホームページを調べたところ、神楽殿の案内に「三峯の神楽は霧の流れる境内にひびく笛と太鼓の調和よく、その巧妙な撥さばきによって彼の宮本武蔵が二刀流を開眼したと伝えられるものです。」との説明を見つけました。
改めて、吉川英治氏の『宮本武蔵』の二天の巻の「撥(ばち)」という一節を読みました。
三峯神社の場面で武蔵は神楽殿で太鼓をたたいている人の手を見ながら「・・・ウウム、二刀、二刀、あれも二刀も同じ理だ、撥は二つ、音はひとつ」とつぶやきます。
そして、武蔵は「一乗寺下り松の闘い」で多勢の吉岡一門に対して、身一つで当たったとき、いつの間にか右手に大刀を、左手に小刀を持っていたことを思い出します。
普通は両手で一刀を使うのですが、命の危機に直面した時に自然体で二刀を使ったということを考え、むしろ二刀が自然なのではないかと武蔵は考えたわけです。
「無意識でなく、意識あっての働き。しかも、その意識が、無意識のように自由な働き。二刀は、そうしたものでなければならぬ。」と武蔵は常にその工夫を胸に抱いており、「自己の信念に、理念を加えて、動かない二刀の原理をつかもうとしていた」ようです。それを「二本の撥」を通じてぱっと受け取ったという話です。
もとより、吉川英治氏が宮本武蔵のこの光景を見たわけでもなく、また、宮本武蔵にインタビューしたわけではないですから、事の真相は分かりません。
しかし、かの有名な吉川英治氏の著書に三峯神社神楽殿の撥さばきに二刀流のヒントがあったなどと描写されていたことは大変うれしく思います。
今や三峯神社はパワースポットとして若い人たちに人気ですが、この宮本武蔵の話をすればおじさんたちにも人気が出るかもしれません。