映画「NORIN TEN“農の神”と呼ばれた男 稲塚権次郎物語」が秋に公開されるそうです。この映画は、貧しい農家に生まれた主人公が研究者となり、育成した小麦が戦後アメリカに送られたのち、やがて世界の食糧危機を救う「緑の革命」の基になったという伝記ドラマです。
衆議院議員時代に大変お世話になった元内閣官房長官の熊谷弘(くまがい ひろし)先生からこの話を聞いた時、私も「日本の農学者が作った小麦の原種が世界中に広まった」という話を何かの資料で読んだことを思い出しました。早速資料を取り寄せたところ、私のかすかな記憶は正しく、今の世界の多くの小麦のスタートは、育種家 稲塚権次郎(いなづか ごんじろう、1897-1988)氏が作った「小麦農林10号」だということが確認できました。
稲塚権次郎氏は1897年(明治30年)に富山県で生まれ、東京帝国大学農科大学(現在の東京大学農学部)を卒業後、農商務省に就職し、秋田県や岩手県の農事試験場で米や麦の品種改良に取り組んだ方です。今日のコシヒカリやササニシキの原種を作られた方でもあります。映画のタイトルにもなっている「小麦農林10号(NORIN TEN)」は、人の肩ほどの高さがあった小麦の品種を50センチほどの高さに改良したもので、大きな穂をつけても倒れず、収穫量が従来の2倍から3倍にもなるという優れた品種でした。
アメリカの農学者ノーマン・ボーローグ博士は、発展途上国の研究者を呼び寄せ「小麦農林10号」を改良した品種を持ち帰らせる制度を創設したことから、世界の小麦の7割(500種以上)がその遺伝子を受け継いだ品種になり、それが1960年代に予測されていた食糧危機から人類を救ったと言われています。これがいわゆる「緑の革命」です。この功績により1970年(昭和45年)にノーベル平和賞を受賞したボーローグ博士は、「稲塚先生が作った小麦の種子によって世界の食糧危機が免れたんだ」と各国で宣伝されたようです。
稲塚権次郎氏の死後、1990年(平成2年)に来日した際にもボーローグ博士は、「今日、この地で、私達は、稲塚先生の生家を訪ねるという素晴らしい経験をさせていただきました。先生の業績は、私のみならず、全世界の人々が、高く評価し、心から感謝しているものであります。多くの国々で食糧問題の解決を可能にしてくださったのも、稲塚先生の御貢献あればこそなのです」と、稲塚権次郎氏の出身地である富山県南砺市(なんとし)の農業会館において500人ほどの聴衆を前に述べたそうです。
いずれにしても、これだけ素晴らしい功績を残した人物の物語が仲代達矢(なかだい たつや)さんの主演で映画になったわけですから、日本人の世界貢献の記録として、日本人のアイデンティティの中にしっかりと刻み込むべきだと思っています。この映画は富山県内の映画館で5月から先行上映され、9月19日(土曜日)からは有楽町スバル座で公開されるそうです。全国公開が実現できるよう私もこの映画をアピールしていきたいと思っているところです。