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高級フルーツ店として知られる「千疋屋(せんびきや)」の名前が、実は埼玉県内の地名に由来しているということを御存じでしょうか。

江戸時代後期、武蔵国埼玉郡千疋村(現在の越谷市)で槍術(そうじゅつ、やりを使う武術)の道場を開いていた大島 弁蔵(おおしま べんぞう)が、道場の庭で育てた果物や野菜を舟で運び、江戸葺屋町(ふきやちょう、現在の日本橋人形町3丁目)で商いを始めたのが創業に当たるそうです。

出身地の名を取り「千疋屋弁蔵」と名乗り、「水ぐわし(甘い果物)安うり処」の看板を掲げ、柿・びわ・ぶどう・みかんなどを販売していましたが、後に愛称で「千疋屋」と呼ばれ、それが屋号になったということです。

当時の越谷には江戸までの搬水路が築かれており、舟を利用して中川を下れば、昼に収穫した果物や野菜を、翌朝には新鮮な状態で江戸に届けることができました。

その後、順調に事業を拡大し、徳川将軍家の御用商人に取り立てられるなど現在の高級路線を確立していったそうです。

江戸という大消費地に近い地の利を生かし、水運によって商機を得たという点で、本県特産の木材である「西川材」に通じるものを感じました。

飯能市などの林業地では、江戸時代、山から切り出した木材を高麗川や入間川などを使って江戸に送っていました。運ばれた木材は、「江戸の西の川から来る材」として、西川材と呼ばれるようになりました。

この西川材は度重なる江戸の大火や、関東大震災の復興用材として大いに活用されました。

現在、輸送手段は舟から自動車や鉄道に変わりましたが、埼玉県は6つの新幹線に加えて6本の高速道路が走る東日本随一の交通の要衝となっています。

また、首都圏という巨大マーケットの中央に位置する本県の立地環境の良さは、江戸時代から変わっていません。

この「地の利」を生かし、江戸時代の先人たちにも負けないよう埼玉県の産業を発展させていきたいと思います。

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