埼玉県には、私たちの心に深い感銘を与え続けている多くの先人がいます。中でも塙 保己一(はなわ ほきいち)翁、渋沢 栄一(しぶさわ えいいち)翁、荻野 吟子(おぎの ぎんこ)さんの3人は本県を代表する偉人です。

現在の本庄市に生まれた江戸時代の国学者である塙 保己一翁は、病気により7歳で失明したにもかかわらず、15歳の時に江戸へ出て学問の道に進みます。そして、全国に散逸していた多くの記録や史料を集め整理し、666冊にも及ぶ「群書類従(ぐんしょるいじゅう)」を編さんするという偉業を成し遂げました。

塙 保己一翁から遅れること94年、渋沢 栄一翁は現在の深谷市に生まれました。「日本の近代資本主義の父」と呼ばれ、第一国立銀行をはじめ、鉄道、製紙、造船など500社にも上る企業の設立に関わりました。
また、福祉や教育など約600もの社会事業にも熱心に取り組み、数々の功績を残しています。その一つに温故学会の設立があります。温故学会は、塙 保己一翁の残した文化遺産を後世に伝えるために設立された団体で、群書類従の版木も保管しています。
現在、塙 保己一翁の残した本を多くの人たちが手にすることができるのも、郷土を愛し、国の発展を願う渋沢 栄一翁の高い志があったからだと言っても過言ではないでしょう。

そして、日本最初の公認女性医師である荻野 吟子さんは現在の熊谷市出身です。婦人科の治療を受けたことがきっかけで、女性医師の必要性を痛感しました。しかし、当時は医師開業試験の受験は女性に認められていなかったため、自ら制度改革に取り組んだのです。その際、平安時代の律令解説書「令義解(りょうのぎげ)」に女医の規定があったことを突破口としました。
実はこの「令義解」は塙 保己一翁がまとめ、後世に残したものです。塙 保己一翁が荻野 吟子さんを医師へと導いたともいえます。

本県ゆかりの三偉人が時代を超えてつながっていること、くしくも生誕の地がいずれも県北地域であることに運命的な不思議さを感じました。