11月26日(日曜日)に幸手市北公民館で、幸手中央ロータリークラブ主催の市民による群読劇「塙保己一物語」に出演させていただきました。
この群読劇とは、台本を手に持ったまま、塙 保己一(はなわ ほきいち)をめぐる人々を演じるというものです。
本庄市在住の元埼玉県議会議員の竹並 万吉(たけなみ まんきち)さんが、この塙保己一物語の群読劇を始められて、県下に広める運動をされています。幸手中央ロータリークラブがこれを受けて、幸手市教育委員会の後援も得て群読劇を開催しました。
私もなんと、八代将軍徳川 吉宗(とくがわ よしむね)の孫であり、寛政の改革を行った松平 定信(まつだいら さだのぶ)役で出演する機会をいただきました。台本にはありませんでしたが、あえて「暴れん坊将軍徳川 吉宗の孫、松平 定信である。」などとアドリブを入れました。
塙 保己一は幼くして光を失い、努力に努力を重ねて盲人一座の最高位であり、大名格である総検校(そうけんぎょう)にもなられた方です。特に優れた業績は、全国に散逸していた様々な文献を取りまとめ、666巻の『群書類従(ぐんしょるいじゅう)』を編纂(へんさん)し木版で発行までしたことでしょう。
かの「奇跡の人」ヘレン・ケラー女史は塙 保己一を心から尊敬し、来日されたときも塙 保己一ゆかりの地を訪ね、埼玉会館で講演なさったときも、塙 保己一との関係について話をされた記録が残っています。
また、幕末にアメリカをはじめとする各国との間で、小笠原諸島の領有権争いが起こったときに、幕府は塙 保己一が開いた和学講談所(わがくこうだんしょ)の2代目に「何か資料はないか」と調べさせました。その結果、『群書類従』の中から「小笠原島は文禄2年、小笠原民部少輔貞頼(小笠原 貞頼(おがさわら さだより))が高麗より帰朝の際に発見した島で…」という資料が見つかり、これによって日本の領有権が決まったという史実があります。正に小笠原諸島が日本の領土になったのは、塙 保己一のおかげによるものと言えます。
今回はそうした塙 保己一の幼年期から没するまでの物語でした。目が見えないというハンデをものともせず、大きな足跡を残した塙 保己一の偉大さを再認識させられた群読劇でした。