埼玉ゆかりの偉人の一人に、久喜市(旧菖蒲町)出身で明治32年にわが国最初の林学博士になった本多 静六(ほんだ せいろく)博士がいます。

明治神宮の森を造成したことで知られる博士は、日比谷公園や大宮公園をはじめ全国各地の主な都市公園の設計や、防雪林など様々な事業を手掛けています。まさしく近代日本の発展に大きな貢献をされました。

博士の晩年の著書に「人生計画の立て方」があります。その中で、人生を充実させるためには、人生を4期に区切って、期間ごとに人生計画を立て目標達成に向けて日々努力していくことが大切であると述べられております。

6歳から20歳までを人間らしく働くための準備をする「教練期」、21歳から65歳までを自分自身及び国のために働く「勤労期」、66歳から85歳までを世のため人のために働く「奉仕期」、86歳以降を晴耕雨読を楽しむ「楽老期(らくろうき)」と位置付けておられます。

博士が「人生計画の立て方」を著したのは昭和27年で、自身が85歳で亡くなる直前だそうです。その時点で「85歳までは世のため人のために働くべき」と考えておられました。まるで現在の超高齢社会の進展を予見していたかのようです。

実際、博士は60歳で大学教授の職を退いてから亡くなるまでの間、帝国森林会、日本庭園協会、埼玉県人会等、多くの団体の会長や役員を引き受けるなど熱心に社会貢献活動に取り組まれました。
人生二毛作、三毛作といわれる超高齢社会を生き抜くヒントがこの著書の中にあります。

また、博士は秩父市(旧大滝村)の中津川渓谷にある森林を県に寄贈され、その森林から得る収益を奨学生のための基金とすることを希望されました。現在も「本多静六博士奨学金」として県が運営を続けています。博士の功績はいろんな意味で埼玉県に残っています。