見沼田んぼが良い季節になってきました。桜はさすがに散りましたが、春の花があちらこちら咲き誇っていますし、一部では田植えも始まっています。

現在の見沼田んぼは、江戸時代の新田開発により、見沼溜井(みぬまためい)という農業用の大きな溜池を干拓して造られました。
今から約300年前、八代将軍徳川吉宗の命を受けた紀州の役人 井澤 弥惣兵衛(いざわ やそべえ)によって見沼溜井の干拓が始められました。
このとき農業用水として利根川から60キロメートルにわたって引かれた用水路が今も残る見沼代用水です。

見沼代用水と芝川を併せて利用することによって、米などを効率的に江戸に運べるようになったのも画期的でした。
もともと見沼代用水と芝川は水位が異なるため、そのままでは船を通すことはできません。そこで弥惣兵衛は途中に水門を設けて水位を調整することを考えました。こうして完成したのが、「見沼通船堀(みぬまつうせんぼり)」です。
見沼通船堀は「閘門式運河」と言われるもので、その仕組みはパナマ運河と同じです。しかも、見沼通船堀が完成したのはパナマ運河に遡ることなんと180年以上も前です。当時の日本の土木技術水準の高さがうかがえます。

「井澤 弥惣兵衛」と漢字で書くと難しい名前ですが、関東を開拓した関東郡代 伊奈 忠次(いな ただつぐ)と並んで、正に埼玉県の歴史に名を残す優れた技術者の一人です。