6月25日(土曜日)の読売新聞のコラム「編集手帳」が目に留まりました。日米開戦の前夜、元首相の米内光政(よない みつまさ)は次のように述べたといいます。「ジリ貧を避けようとしてドカ貧にならぬよう、ご注意願いたい」。楽観を頼りにした短慮を戒めた発言だそうです。ジリ貧の閉塞感を根気強く押し返していく主張よりも、威勢のいい掛け声でちゃぶ台をひっくり返すドカ貧派の言動に、庶民感情は時に刺激を受けやすいものです。英国の国民投票もそうではないかという話です。
直前の予想を覆し、英国ではEUからの離脱派が勝利しました。「移民に職を奪われる」という英国国民の不満が表れた結果といわれていますが、EU離脱による経済の痛手は小さくないというのが世界の見方です。職の奪い手が「移民」から「不況」に代わるだけではないか、あるいはそこまで考えていないのか、ということです。英国の国民投票を左右した二つの感情があるそうです。「わが身が大事」、そして「昔は良かった」という感情です。何やら今の日本でもあてはまるところがありそうです。アメリカの大統領選挙を席巻している「トランプ旋風」にも通じる話だと思います。
人類は長い歴史の中で対立から統合を目指してきました。部族間の闘争、民族間の対立、そして国家間の戦争。そうしたものを乗り越えて一つの国家にまとまり、国際連合や国際通貨基金などの国際機関を通じて様々な紛争を調整する仕掛けを作ってきました。EUも二度と欧州で戦争は起こさないという決意の下、一つの欧州という理想を実現するための装置であると思います。
確かにジリ貧を座して待つ訳にはいかないが、ジリ貧の原因を丁寧に探って一つ一つ潰していく。正に、マックス・ウェーバーが著書「職業としての政治」の中で「政治という仕事は、情熱と判断力の両方を使いながら、堅い板に力をこめて、ゆっくりと穴を開けていくような仕事である。(中略)どんな事態に陥っても、『それでもわたしはやる』と断言できる人、そのような人だけが政治への『天職』を備えている」と述べています。困難なことの多い時代ですが、ジリ貧を避けるためにドカ貧にならぬように気を付けたいものです。