「世界一」の砲丸職人として知られた富士見市の辻谷政久(つじたに まさひさ)(※)さんが9月20日に亡くなられました。辻谷さんは1933年生まれ、13歳から旋盤を始め、聖橋高等学校(現在の埼玉工業大学)の定時制を卒業後、1959年に会社を創業されました。以来、40年以上にわたって家族経営で陸上競技で使う砲丸を製作しておられました。1996年のアトランタ五輪からシドニー、アテネと3大会連続で、男子砲丸投げの全てのメダリストが辻谷さんの砲丸を使用したそうです。五輪で使用する砲丸は7.26キログラム+5~25グラム、直径13センチ。重心が中心にないと飛距離に1~2メートルもの差が出ると言われます。辻谷さんは、球の中心にぴったりと重心を合わせる熟練の技で世界のトップアスリートから絶大な信頼を得ていたそうです。

 辻谷さんは2005年に厚生労働大臣が卓抜(たくばつ)した技能者を表彰する「現代の名工」に選定され、また、2007年には辻谷さんの経営する会社が「元気なモノづくり中小企業300社」に選ばれました。2008年には他の模範となるような技術を有する方に贈られる黄綬褒章を受章されました。とにかく「神業」といわれるほどの技術を持っておられたとのことです。人間の五感を大切にする熟練の「わざ」は、材料を削った時の音や色、光、旋盤で削る時の手に伝わる圧力など、機械には絶対に真似ができないと評価されていました。

 辻谷さんのこうした究極のアナログ技術は世界でも注目され、ボーイング社に技術指導を行ったこともあるそうです。そして、砲丸づくりの技術を教えてほしいと世界から依頼があったそうですが、実現しなかったとのことです。「勘にはマニュアルがないですから。この砲丸は、僕一代で世の中から消えます。」と語っていたそうです。すごいですね。正に一代の技術で、他人には真似ができないということを御本人が良く御存じだったようです。

 死期を悟った辻谷さんは「2回や3回の失敗を恐れず挑戦を続けてほしい」と若者に向けたメッセージを残されたそうです。これは若者だけへのメッセージではなく、前向きに頑張る全ての人へのメッセージだと思います。「世界一」の砲丸職人からのメッセージを改めて受け止めなければならないと思いました。

(※)閲覧環境によって辻谷さんの「辻」の字の「しんにょう」の上部の点が1つの場合がありますが、正しくは点は2つです。