「世界史を変えた新素材」(佐藤 健太郎著 新潮選書)という本を大変興味深く読みました。人類の長い歴史における変革、転換点について「材料」に着目して書かれたものです。

確かに石器時代、青銅器時代、鉄器時代といった時代区分の名称は材料に由来しています。日本では縄文時代、弥生時代と土器の特徴が時代名称の由来になっているものもありますが、その土器すなわち焼き物についても本著で取り上げられています。

土器も含めた「容器」は人類最初の発明品の一つであり、考古学というものはどこの国であれ、まず壺とその破片を探すところから始まると言う学者もいるそうです。また、土器でドングリを煮てあく抜きすることで食料が安定して手に入れられるようになるなど、同書は人類が定住生活を始めるという大きな転換点には土器が密接に関与していたと説明しています。

様々な種類の土器を使い分けることで、水や食料の調理・保存が可能になるなど、土器が人類の繁栄に大きく貢献したと考えられています。それは土器を表す漢字には、「壺(つぼ)」「碗(わん)」「瓶(びん)」「甕(かめ)」「甑(こしき)」「坏(つき)」「鬲(かなえ)」など数多くの種類があることにも表れているとのことです。土をこねて成形し焼いて固める、という製法は基本的には現在も変わっていません。プラスチックや金属などの優れた材料が普及した現在でも、土を練り焼き固めて作られる陶磁器は使われ続けています。さらに美しい陶磁器は料理の味も引き立てます。

埼玉県の県名の由来となった埼玉(さきたま)古墳群からも多くの土器が発掘されました。中でも「中の山(なかのやま)古墳」からは変わった土器が出土しています。頭の大きな「銚子(ちょうし、酒をつぐ容器)」のような形状をしており、「須恵質埴輪壺(すえしつはにわつぼ)」と呼ばれています。九州北部のいくつかの古墳で似たものが出土しているようですが、関東の古墳では他に例がありません。

埼玉古墳群から西に約30キロメートル離れた寄居町末野(すえの)遺跡で、中の山古墳と同じ須恵質埴輪壺を焼いたとみられる窯跡(かまあと)が発見されており、その年代は6世紀末から7世紀初めと考えられています。当時の人々がどのように交流し生活を営んでいたのか、焼き物を通して想像力がかき立てられますね。