時代の潮流として、AIやロボットが人類の未来を左右するというような話が多く伝わってきています。
確かに、AIは社会の様々な課題を解決に向かわせる一つの鍵となり得るのかもしれません。本県でも、平成30年度予算でAIを活用する事業を多く用意しました。
一方、AIについてはそうした「光」の部分の向こう側に「影」の部分があるともいわれています。私が敬愛する渋澤 健(しぶさわ けん)さんの御見解を、送っていただいた「シブサワ・レター」から紹介します。
1970年代の中ごろ、経済学者の故 宇沢 弘文(うざわ ひろふみ)先生による『自動車の社会的費用』という本が大変ヒットしました。
自動車には、便利な乗り物であるだけでなく、多くの雇用も作り、あらゆる技術の汎用性も高めてきたという「光」の側面があります。
それに対して宇沢先生は、大気汚染や振動・騒音による社会環境の悪化、交通安全のための警察や救急医療の拡充のために要する費用など、自動車の社会的費用は見た目よりもはるかに大きいことを指摘されました。正に、自動車の「影」の側面です。
翻ってAIの社会的費用はどうかといえば、AIの進展によって失われた雇用の再配置に相当な費用が掛かるのではないかとの議論がよく聞かれます。つまり、学び直しの訓練に掛かる費用や、人材を新たに訓練するための組織やプログラムを用意するための費用が新たに生じるということです。
一方、あまり知られていないのがAIの「消費電力」です。人間の脳は驚異的に効率的で、全体の10パーセントぐらいしか使っていないといわれています。消費電力は小さな電球と同じぐらいで20ワット、ほとんど熱量を発しません。それに対して、次々と名人を打ち破っている人工知能の「AlphaGo(アルファ碁)」の消費電力は25万ワットもあり、人間の脳の1万2千人分に相当する熱量に当たります。
このように、渋澤さんはAIの「影」の側面を御指摘されています。
AIに多くの電力を要することについては、まだまだ認識が広まっていません。しかもAIの活用が進んでいったときにいったいどのくらいの電力量が必要となるかは、想像もできない状況です。
将来的にAIを社会に大胆に取り入れていくに当たっては、このような「影」の部分についての理論的な裏付けも必要となるでしょう。持続可能な社会の形成に向けて、議論すべきことはまだまだありそうです。