山岡鉄舟(やまおか てっしゅう)先生の生誕180周年を祝う会が、6月18日(日曜日)に小川町にある「割烹旅館 二葉(ふたば)」で開催されました。
鉄舟は江戸幕府15代将軍徳川慶喜(とくがわ よしのぶ)の命を受け、勝海舟(かつ かいしゅう)と計らって官軍の江戸城総攻撃の直前に西郷隆盛(さいごう たかもり)に談判し、江戸城の無血開城を実現したとしてよく知られています。
鉄舟は山岡家へ養子に行ったことから山岡姓を名乗っていますが、もともと旗本小野家の出身で本名を小野鉄太郎(おの てつたろう)と言います。この小野家の領地が小川町や寄居町にあったことから、若い時からしばしば小川町周辺を訪れていたそうです。当時の「割烹旅館 二葉」でお茶漬けを食べたり、「関東灘(かんとうなだ)」と言われた小川町のお酒を痛飲していたというエピソードが残っています。
鉄舟は人格が高潔であると同時に、北辰一刀流(ほくしんいっとうりゅう)の免許皆伝でもあり、書家としても大成した方で、お代の代わりに書を書いたという話もあります。そのため、小川町や東秩父村には鉄舟の書が多く残されております。
改めて鉄舟の偉業と人物をしのぶために、当日は、哲学者の行徳哲男(ぎょうとく てつお)先生、安岡正篤(やすおか まさひろ)研究で有名な郷学研修所所長の荒井桂(あらい かつら)先生、本県の教育委員長などもなさった明星大学の高橋史朗(たかはし しろう)教授などがお見えになりました。私も参加させていただき、座談会などが行われました。
西郷隆盛は、「金も要らぬ、名誉も要らぬ、命も要らぬ人は始末に困るが、そのような人でなければ天下の偉業は成し遂げられない」と鉄舟を称賛したといいます。また、西郷の命によって明治天皇の侍従として仕えること10年に及んだそうです。
天皇、皇后両陛下をはじめ皇族の皆様の国民に寄り添う温かい御心や私心なき行動は、明治天皇から受け継がれたものであり、その明治天皇の御心は鉄舟の教えによるものではないかと私は理解しています。