11月8日(日曜日)、中国高校生友好交流大使500人訪日団の第2陣100人が日本に到着されました。高校生90人に引率者等で合計100人です。この訪問団は二階俊博(にかい としひろ)自由民主党総務会長が代表を務めた「日中観光文化交流団」が5月に中国を訪問した際に約束された交流です。
東日本大震災の時、中国の温家宝(おん かほう)総理(当時)が被災の苦しみなどを一時的にも癒してもらいたいということで、被災地の高校生500人を海南島(かいなんとう)に招いていただいたことに対する返礼の気持ちが込められています。今回訪日された100人は、山西省の皆さんということで、山西省と姉妹州省の関係にある埼玉県が主な受け入れ団体となりました。埼玉県がホストになって県内の高校生との交流、ホームステイをはじめ、鉄道博物館や長瀞ライン下りなどの観光を楽しんでいただき、そして日本を学んでいただく予定となっています。
11月9日(月曜日)には都内の東京ドームホテルで歓迎会がありました。 その席で私は、遣唐使として日本からの留学生が唐に渡り、中国の文物を学んでいたこと。そして、玄宗皇帝の頃には唐の高位高官まで昇った阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)がいたこと。一方、日本が中国から学んだだけではなく、明治以降は日本の近代化を学ぶために中国から多くの留学生を受け入れていたこと。辛亥革命の指導者であった孫文(そん ぶん)もその一人で、日本で学び、そして日本で多くの同志を募っていたこと。日本政府も非公式に支援し、日本の有徳な人たちは資金を援助していたこと。日本人の中には辛亥革命そのものに参加し、指導者として活躍した人も数多くいたこと。さらに中華人民共和国の建国の父の一人である周恩来(しゅう おんらい)元首相も日本の大学で学んだことなどを紹介しながら、日中両国民はお互いに学び合うことができる、また、学び合わなければならないという趣旨の挨拶をさせていただきました。
中国側では孫文が日本の援助を受けていたこととか、周恩来元首相が日本の大学に留学していたことなどは知られておりませんので、私は中国の方への挨拶などではこれに触れるようにしております。いずれにしても、日中両国の若い将来のある人たちがお互いの訪問そして交流を通じて、自分の目と耳で直接お互いの国の本来の姿に触れることは、日中両国の将来にとってとても有意義なことだと思っております。