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日本銀行調査統計局の調査主幹を務められ、現在は株式会社ぶぎん地域経済研究所の専務取締役である土田浩(つちだ ひろし)さんが書いた『日銀から見た埼玉経済』という本が埼玉新聞社から出版されました。読んでいるうちに面白いところにぶつかりました。明治時代の人口分布です。

地方行政区分が現在の47都道府県になったのは1888年(明治21年)だそうです。当時の埼玉県の人口は105万人で全国第12位でした。第1位はどこかといえば、166万人を擁する新潟県でした。農業従事者が国民の9割を占めていた時代ですから、生産手段である耕作地の面積が人口規模を事実上決定するということになったものと思われます。第2位以下は東京、兵庫、愛知、大阪、広島、福岡、千葉、長野、岡山、静岡、埼玉と続きます。東京は首都ですから必ずしも農業とは関係ないと思われます。

明治時代の人口分布で注目したのは、埼玉県とほぼ同程度の人口を熊本、鹿児島、山口、岐阜、愛媛、三重といった県が有していたことです。その後、産業構造の変化により日本の人口分布は大きく塗り替えられました。高度経済成長の始まりとされる1960年(昭和35年)の埼玉県の人口は243万人でした。1888年(明治21年)から72年間で約2.3倍に増加したことになります。そして、その30年後の1990年(平成2年)には更に2.6倍の641万人と、急激に増加しています。この期間には千葉県も2.4倍、神奈川県も2.3倍と増加率では東京都の1.2倍を大きく上回りました。つまり、東京を中心とする首都圏全体が膨張したのです。

(続きは明日のブログで述べさせていただきます。)

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