福島県を訪問した翌日は宮城県に足を運びました。まず、宮城県庁にて村井嘉浩(むらい よしひろ)知事にお会いし、今村復興大臣との会談に関する報告を行うとともに宮城県からの要請などを受けました。
村井知事は、全国の都道府県からの職員派遣について、あと2年だけ全国知事会にお願いしたいと言っておられました。それでも不足するような場合は、個別に依頼しようと思っているとも言っておられましたので、多分ここ2年ぐらいが非常に重要な期間ではないかと感じたところです。
その後、宮城県庁並びに県庁周辺で復興支援業務に従事している本県からの派遣職員9名と意見交換し、引き続きしっかり頑張るよう激励しました。

次に、町が丸ごと被害に遭ったと言われる女川町(おながわちょう)の復興状況を重点的に視察してまいりました。女川町は地震で町が崩壊したところを更に津波に襲われてしまった、宮城県では最も物的被害の大きかった町です。しかしながら、復興は最も進んでいると言われています。その秘密を探りたいとの思いもありました。
一番の理由は町長のリーダーシップによるものだと思われます。とりわけ、町唯一の高台で平地の町営グランドに、立派な復興住宅をいち早く建てたところに成功の要因があるようです。
このかつての公団住宅を思わせるような3・4階建てのがっちりとした復興集合住宅を建てることによって、多くの被災者の皆さんにこちらに入居していただくことができました。
そして、土地区画整理事業などのノウハウのある都市再生機構といち早く協定を結んで、被災した区域のまちづくりに取り組んだことにより、地権者との協議などがスピーディーに進められました。
JR女川駅周辺には新しい街並みが作られていました。大変モダンで、魅力的な集会施設やレストラン、土産物屋などがあり、メインストリートは軽井沢を思わせるような景観になっていました。観光客も増えているという説明もいただきました。

いずれにしても、唯一残った高台の平地にスピーディーに復興住宅を作り、そこに多くの住民に移転してもらい、空いた土地を種地に次のまちづくりを進めるという手法が、今日の成功をもたらしたのではないかと考えられます。
災害列島ともいうべき日本において、今後、そう遠くない時期に女川町の復興事例が語られる日が来るのではないかと思っています。

次に、2年前に訪問した石巻市(いしのまきし)の復興状況を見てまいりました。前回伺ったときに比べると相当復興が進んでいましたが、何しろ広い空間ですので、まだまだという感もなきにしもあらずと思いました。
そして、石巻市内にある宮城県東部土木事務所で働いている本県からの派遣職員5名を激励し、宮城県を後にしました。