この4月まで放映されていたNHKの連続テレビ小説「あさが来た」で、大阪経済界の基礎を築いたと言われる五代友厚(ごだい ともあつ)が登場しました。埼玉県出身で「日本資本主義の父」とも言われた渋沢栄一(しぶさわ えいいち)翁とともに、「東の渋沢、西の五代」とも言われるほどの経済界の重鎮です。この五代友厚ですが、意外にも本県の熊谷市と縁があります。

文久3年(1863年)、薩英戦争でイギリスの捕虜になった五代は、幕府の通訳を務めていた清水卯三郎(しみず うさぶろう)の助けを受け、清水の親戚である現在の熊谷市四方寺の吉田六左衛門家に潜伏したそうです。慶応元年(1865年)に名誉を回復した五代は、薩摩藩の遣英使節団の一員として、寺島宗則(てらしま むねのり)や森有礼(もり ありのり)らとともに欧州各地を巡り、ベルギーのブリュッセルでは貿易会社設立の契約にも調印したそうです。この契約時の経験が、後の彼の経営手腕に大きな影響を与えたと言われています。その際、相手方の通訳を務めていたのも熊谷市出身の斎藤健二郎(さいとう けんじろう)という人物で、この時のことは記憶に残る対面として五代の伝記などに記されています。

郷土の偉人である渋沢栄一翁と並び称され、我が国の経済の基礎を築いた一人と言われている五代の若き日の窮地を救ったのも、その研さんの場に立ち会ったのも熊谷市の出身者であったというところが、なかなかの縁です。現在、熊谷市にお住まいの方の中には、五代と直接会い交流があった方の子孫に当たる方がおられるはずです。歴史上の人物が意外に身近なところでつながっているという点では大変興味深いことです。

アメリカの心理学者スタンレー・ミルグラムが検証した「6次の隔たり」という理論があります。「6人の知人を連鎖的にたどれば、世界中の人々とつながる」という話です。広いと思われた世界も実は狭く、知人を介して世界中の人々と結びついている可能性を示唆しているそうです。

私も人に会ったりするのが仕事ですが、いろいろ話をしているとお互いに知っている友人知人が多いことに驚きます。互いに知らない人となると、その数十倍、数百倍になるでしょうから、まさしくこの心理学者スタンレー・ミルグラムの言うところの「6次の隔たり」で、知らない内に世界中の人とつながっているのかもしれません。多くの方と交わっていると、更に多くの方と縁ができるということであります。そうした縁を大事にしたいものです。