草加市の老舗製菓会社「平塚製菓」が、小笠原諸島の母島で、日本では不可能と言われていた国産カカオの量産化に目途を付け、純国産チョコレートの開発に成功したそうです。
 カカオは、赤道を中心に南北の緯度20度以内で、最低気温が16度を下回らず、年間雨量1,000ミリ以上の「カカオベルト」と呼ばれる地域で主に栽培されていることから生産量が限定されています。その一方、途上国などではチョコレートへの需要が拡大しており、このところカカオの国際商品市況は高騰しています。

 平塚製菓は創業115年、チョコレート菓子などのOEM(相手先ブランドによる生産)を中心に行う製菓会社です。同社の平塚正幸(ひらつか まさゆき)社長は、何とか国産カカオによるチョコレートづくりができないかと思い描き、あえて北緯26度に位置する母島で2010年からカカオ栽培に取り組み始めたそうです。
 当初1,000粒の種を植えて、167本が発芽したものの2・3か月で全て枯れてしまい、平塚社長の夢も頓挫(とんざ)しかけたそうです。そこへ小笠原村で農園を経営する折田一夫(おりた かずお)氏から協力の申出があり、埼玉の製菓会社と小笠原の農家の共同プロジェクトがスタートしました。
 本土から1,000キロも離れた母島への重機やハウス資材の輸送、台風や潮風の影響などの難問を一つ一つ乗り越え、2013年に待望の初カカオを収穫しました。その後カカオの実から豆を取り出す発酵・乾燥作業に手探りで取り組み、2015年3月、ついにチョコレートの試作に成功したそうです。

 今年は板チョコにして15,000枚分に相当する0.5トンのカカオの収穫を見込んでいるそうです。今後、量産化に目途をつけ2018年には販売を予定しているそうです。母島産カカオの生産とチョコレートづくりについては、2月9日(火曜日)付けのYAHOO!ニュースや2月12日(金曜日)付けの読売新聞などで報じられています。

 実は、埼玉県と小笠原諸島は意外なつながりがあります。過去にもブログで何度か御紹介しましたが、埼玉が生んだ偉人、塙保己一(はなわ ほきいち)に関連する逸話であります。

 江戸時代後期、小笠原諸島の領有が日本とアメリカ、イギリス、ロシアの間で問題となった時に、時の幕府は塙保己一が創設した和学講談所を継いだ息子の塙次郎(はなわ じろう)に相談をしました。日本固有の領土である証拠を探し求めた幕府は塙保己一が残した資料に賭けたのです。
 塙次郎は和学講談所に収蔵された資料の中から小笠原諸島が日本の領土であることを証明する歴史資料(明治になり「続々群書類従」に収められる)を発見し、幕府に提供しました。これが決め手となって小笠原諸島が日本の領土であることが国際的に認められました。
 平塚製菓の「純国産のチョコレートづくり」という夢のある取組を通して、遠く離れた埼玉県と小笠原諸島の不思議な縁を感じたところです。