2月15日(月曜日)のブログに続いて、辞書編集歴36年の神永暁(かみなが さとる)氏が著した「悩ましい国語辞典」(時事通信社)から、もう一つ興味深い用例を紹介させていただきます。

 文化庁が毎年秋に結果を発表している「国語に関する世論調査」では、毎回意味の誤りやすい言葉の調査を行っているそうです。「姑息な手段」などと言う時の「姑息」もそんな言葉の一つです。

 この言葉は今までたびたび調査の対象になっています。2003年(平成15年)の調査では「一時しのぎ」という本来の意味で使う人が12.5%、「卑怯な」という従来なかった意味で使う人が69.8%という結果が出ていたそうです。2010年(平成22年)の調査でも、「一時しのぎ」は15.0%、「卑怯な」が70.9%という結果であったそうです。それだけ「卑怯な」という意味で使用することが定着してきていると言えるようです。

 「姑息」の姑(こ)は「しばらく」、息は「やすむ」という意味ですので、しばらくの間、息をつくことから、一時の間に合わせにすること、一時のがれ、その場しのぎという意味になった言葉だそうです。卑怯なという意味はその場だけの間に合わせていることから、それをずるいと感じて生じた使い方だと考えられると著者の神永氏は述べています。

 それにしても、本来の意味でない「卑怯な」の意味で使っている人が70%もいるというのはすごい話であります。慣用句などの誤用が多数派となった調査結果がマスコミで取り上げられ、その結果誤用の認知度が改善する例もあるようですが、この「卑怯な」という意味は今さら誤用だとは言い難く、国語辞典に掲載される例も出始めているとのことです。

 私も気付きませんでした。今では、「卑怯な」の意味で使う方がむしろ自然なのかとも思ったりします。日本語の難しさを改めて思い知らされますね。正に「言葉は生き物」なのだと感じました。