卓球は、リオデジャネイロオリンピックにおいて日本代表選手が男女共にメダルを獲得するなど、大いに人気が高まっています。世代を問わず、多くの人が親しむ競技となり、日本卓球協会への登録会員数は全国で約32万人、本県でも約1万2千人となっています。

ところで、我が国の卓球の黎明(れいめい)期に、埼玉から全国を制覇した一人の女性がいたことを御存じでしょうか。昭和5年に行われた第3回全日本女子卓球選手権大会で、当時最年少の15歳で出場した久喜高等女学校(現・県立久喜高等学校)の黒崎榮子(くろさき えいこ)さんです。『スポーツ埼玉』の2017年1月号で紹介されていました。

全国から参加した精鋭数百人の中を勝ち進んだ決勝は、静岡高等女学校の八木悦子(やぎ えつこ)さんとの一騎打ちだったそうです。八木さんは、東海地区トップの座を守り続ける第一人者でした。見応えのある激しいゲーム展開となったそうですが、誰もが予想しなかった黒崎さんが全国優勝という偉業を達成されました。

最年少チャンピオンの誕生で本県卓球界の気運は一気に盛り上がりました。その後も全国大会で優勝か準優勝という戦績を収め、「卓球の女王」と称された黒崎さんは、日々黙々と練習に明け暮れたそうです。

出身校である久喜高等女学校が昭和6年に発行した生徒会誌『紫草(むらさき)』には、「学校では一心に練習、家では日本女流(著名な選手)の人々に対する戦法を考え、学校で実行するようにした。夜は目が痛くて読書ができなかった。真実つらかった。」という黒崎さんの文章が残されているそうです。

その後、黒崎さんは女子教育指導者の道を進み、昭和15年には栃木女子師範学校(現・宇都宮大学教育学部)の教壇に立ち、卓球の普及や教員養成に力を尽くしています。

本県出身の黒崎榮子さんの活躍が、現在の日本女子卓球の礎(いしずえ)になっていることは実に誇らしい限りです。